村の娼婦の子だったトビアスは人を刺した後、国境を越えて工場労働者として働くことになる。毎日単調な生活を送る彼は、自分の空想の中に住む女リーヌがいつか現れることを夢見て生きていた…
『悪童日記』で知られるハンガリー出身のフランス語作家、アゴタ・クリストフの作品。
堀茂樹 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)
この作品の中では、幻想とも個人の思索ともつかない抽象的な文章と、現実的な物語とが交互に語られている。
幻想的なパートはあまりにぼんやりとした雰囲気なのでわかりにくいが、主人公の心象風景であり、自身の心情を吐露している部分と見ていいだろう。
そういった幻想的な文章を通して、移民となってしまったトビアス(サンドール)の絶望が見えてくる。
トビアスは理由はあれ、自分の国を捨て、母語をも同時に喪失している(名前も失っているのが象徴的だ)。しかも移った町での工場労働は単調そのもので、生きる意味さえ見失いかねない環境だ。
そこに流れているのは、まぎれもなく絶望そのものであろう。同時に言葉を失うということはある意味、アイデンティティの喪失でもあり、根本に関わる絶望ということがうかがえる。
トビアスは文学を志しているが、それがそのような単調な暮らしを打破し、アイデンティティを回復するため、必要な行為なのだという風に、僕には感じられた。そうでなければ、捨てたはずの名前、トビアス・オルヴァを最初の本に署名するとは宣言しないだろう。文学を志すのは新しい国で、絶望に打ち勝つと同義なのだ、と僕には思えた。
だがそれでも、トビアスが故国に帰ろうとは思わないところが僕には興味深い。
もちろん、故国に帰らないのは自身の母の記憶もあり、それに対する恐怖があるからだが、それでもトビアスが故国に対してまったく郷愁がないとは、読んでいて僕には思えなかった。
多分、彼はリーヌを通して故国を取り戻したかったのだという気がした。つまり、リーヌは向き合わなければならない過去(国)と、過去に対する郷愁のメタファーなのだ、と思う。
つまり彼は新しい国で、新たなアイデンティティをつかみとり、自分の故国に対する郷愁を抱えていたかったのだろう。彼の行動はすべてそこに帰結するのだ。
しかし結果的には彼の希望は叶えられないまま終わる。その姿が僕にはあまりに苦しく、悲しく見えた。
捨てた国を手元に引き寄せることを真に願っているのに、結局それが不可能の愛でしかないのだとしたら、あまりに残酷ではないだろうか。
しかも最終的にトビアスは新しい国に同化し、ものを書くことまでもやめてしまっている。
つまり、トビアスは望んでいた二つのものを、両方とも手に入れることに失敗しているのだ。
その主人公の姿は疑いようもなく敗北の姿だ。その姿の苦々しさのために読み終えた後、僕はすっかり打ちのめされてしまった。
あるいは国を捨てるということはそれだけの犠牲を結果としてもたらすものなのかもしれない。日本に暮らしている限り、クリストフが味わった世界を真に悟ることはできないのだろうか。
ともかくも作中とラストに流れる絶望がギリギリと胸を刺し貫いてくる。『悪童日記』ほどではないが、それでも見事な作品だ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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